猿島とペリー提督

1853(嘉永6)年7月8日(金)ペリー提督率いる黒船が浦賀へ来航、午後5時頃錨を降ろしました。

 

長崎へ行かず浦賀へ直接来たのはなぜでしょうか。ペリー提督はシーボルトの著書「日本」をはじめ40冊ほどの日本を紹介した本を読み、どうしたら開港させられるか研究をしていました。 日本を「うん」と言わせるには決然たる態度で強引に事を運ぶことが大切と理解し、前年に江戸湾へ行くと通知をし、入ってきたものでした。

 

翌日からカッターを降ろし海図作成のための測量を開始したところ、観音崎をまわった近くに美しい小島(猿島)があるのを見つけ、この島に「Pelly.Id」と自分の名前をつけました。

 

ペリー一行は各地にいろいろ名前をつけていますが御所ヶ崎を「Pt.Rubcon」と命名しているのも興味深いものがあります。また、ペリー提督が乗るサスケハンナ号には「サム・パッチ」と呼ばれる日本人が乗っていました。浦賀奉行所与力中島三郎助の記録には「外国の服は着ているが頭を月代にした日本人風体の男がいる」とあり、いったいこの人はどんな人生を送った日本人だったのでしょうか。

猿島航路の運航状況等